スイス・アーミー・マン 日本公開の後に考えたこと・感想2.5くらいのやつ(ネタバレ

アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、美術賞主演男優賞ラドクリフ)、主演男優賞(ダノ)、主演女優賞(ダノ)、主題歌賞、全部あげたい屁こきBL映画こと、スイス・アーミー・マン、まもなく日本劇場公開から1ヶ月ですね!皆さんもうご覧になられましたか(鼻息)!?まだの方は是非見に行ってくださいね!全員が感動すると保証できないけども!刺さる人には死ぬほど刺さります。お覚悟を。

もう上映終了した館もありつつ、新たに上映している劇場も、11月に限定公開が始まるところなんかも多数あったりして、少し変則的なのでどうぞ公式でチェックしてみてください。

スイス・アーミー・マン 劇場情報

私が見たのは米シネコンの上映最終日ギリギリだったので、もっと早く見ていたら何回も通えたのに!!という後悔をめちゃめちゃしましたからね…。この映画、何回も見てやっと解った、という部分が色々あったので(理解力の高い人はそんなことないかもしれないけど)初見であっ好きだな、と思ったら複数回行く価値はあると思いますよ…(ポニーキャニオンの回しものではない)

昔書いた感想

Swiss Army Man(原題)がこのBL映画がぶっちぎりで優勝2016である① - AyakA's diary

Swiss Army Man(原題)がこのBL映画がぶっちぎりで優勝2016である② - AyakA's diary

ロケ地に行った話

スイス・アーミー・マン今日(9/22)公開です(ロケ地れぽ・序) - AyakA's diary

 

さて、日本公開で色々な方の反応や感想を読みまして、改めてこの映画について考えたことなどをtwitterでつぶやいていたんですが、結構分量があるのでblogの方にもまとめておきたいと思います。

ここからネタバレ前提の話も含まれますので注意。

 

他の作品との親和性?

twitterに生息するオタクがよくやるアレ、『実質○○』という表現。これも自分の中で色々出ていたが、似た意見の方がいて嬉しかったです。実質けものフレンズだし、思い出のマーニーだし、ライフ・オブ・パイや、かいじゅうたちのいるところに似た幻想と現実の境界線を感じるかもしれない。実写版ドラえもんでは?という意見にも、そうです!としかいえない。ただしひみつ道具が下品。

他には、スイスアーミーマンてキリストの話じゃないの?という意見に対して

 なんですよ。メニーくんは人類ではないけど、一人の男を救うスーパー救世主メシアさまなので、イエス・キリストじゃ…?と思っている人は多分海外にもいると思うんだけど、監督も含めて誰もそれを口に出していない(というか私が見つけてない)。おそらくメニーが下品すぎて。でもメニーの起こす「奇跡」の荒唐無稽さってかなり聖書っぽいし、死者の復活とかのキーワード、口から吐いた水を浴びるところなんて、どうみても「洗礼」じゃん??とかって思うんですよ(キリスト教者ではないド素人の感覚ですが)。この映画が生理的に受け付けなくて、吐き気さえももよおした、という批評を英語圏では一定数見たけど、そういう人って、この映画のキリスト教的な部分にアレルギー反応を起こしているんじゃ?などと勘ぐってしまう。捨てられたゴミの聖書をoldと表現し、「みんなうんち」に上書きしてしまうのも冒涜的、と受け止められてるのかも。でも結局ハンクは、何度も死んでは生き返り、彼を救い、奇跡を起こし、最後には姿を消してしまった男・メニーの愛によってこれからを生きるんだから、これやっぱキリスト教的じゃん!?とはなるんだよな…。下品耐性のある神学者・牧師・神父の意見求む!!

 みんなうんちは聖典。終盤の話を考えるとちゃんと辻褄が合うので脚本すごい。

 

終盤の名前取り違えのわかりにくさ

物語終盤、サラの家のガレージの前でハンクがニュースレポーターに「メニー」って呼ばれるところで、えっこれそういう叙述トリック的な話だったの?って混乱した人は多いと思う。私もそうでした。今までハンクがメニーを背負って歩いていたのが、逆転してメニーがハンクを背負って歩いてきたり、どうも監督はわざと混乱を引き起こそうとしてるようにも思えるんだけど、自分の中ではこういう結論が出てるので置いておく。

「僕の名前はメニーだ」と名乗ったのは、メニー本人で、サラの娘クリッシーに対してです。
クリッシーはその後で現れた母親サラに、二人(死体と、ボロボロの男)を前にして、彼の名前はメニー、森で迷子になってたの、と教えます。
当然、サラは、娘に名前を名乗ったのは生きてる方だと思うので、ハンクの名前がメニーだ、という誤解が生まれ、 それが警察やマスコミにも伝わったのだと思われます。
メニーはハンクの携帯を持っており、警察はそこから死体の身元をハンク・トンプソンとし、父親に連絡を入れたのかもしれません。父親が来るのが異様に早かったのはもしかして捜索願いが提出されてたのかもな、と思ってます。 

 だから別に、二人が入れ替わった!とかではないはずなんだけど、この混乱をわざと作ったとしたら、その効果は、「長い夢から覚めたときのめまい、ここはどこで、自分が誰だったかが揺らぐ感覚」なのではないだろうか。あと「自分が死んだ時の父親の反応を見る」という事ができるという仕掛け。ここのカメラワークも良かったな…いやー良く出来てるな脚本…(100回目)。

 

どんな話だったの?→広義のラブストーリーだというのは間違いない。

えっBLじゃ~ん!という声をきくと、そうそう!と、とりあえず嬉しくなってしまう。のは、私がBL好きだからというのもあるけど、二人の間にあったLOVEの存在を認めてくれたからだと思う。

ハリーポッターが死体で屁の推進力でジェットスキーする馬鹿映画」なのは一番外側の皮一枚で、そのすぐ下にあるのは「死体と自殺したかった男の間に愛が芽生える話」であることはもう散々公式でも言われてるからここまではOKなんだな。正直、公開中に宣伝としてBLの側面をかなり推し出してくる*1のは意外だった。けれど、その「愛」がとても重層的っていうか多角的っていうか…一色に塗られたものではないのが監督(=脚本)の天才的なところで、それは、シモの話で盛り上がって小動物を撃ってウェーイ!する男の子同士の友情(愛)でもあるし、ごっこ遊びから出発していたとしても、最終的にあそこまで行っちゃったら否定はできない男女の恋愛関係(異性愛者の異性装なのでそう表現するけど英語ならromantic relationshipっていわれるやつ)でもあるし、とはいえ客観的な視点で見ればそれは一人遊びで自己愛を取り戻しているだけかもしれないし、これ最後に気づいたんだけど、ハンクが早世した母親から与えられた愛(子守唄とか)、父親から欲しかった愛のかたちを、メニーに代わりに注いでる面もあるので親子愛とも読める。

ハンクの場合は、本当にいろいろ経験してきた、悩めるキャラクターではあるけれども、すごく美しいと思うのは、メニーと出会ったことで自分にとっていいことばかりじゃなかったこの世界なんだけども、メニーにとってはすごくすばらしい、ワクワクできる世界なんだよ、って一生懸命見せようって行動するところが好きだね

byダニエル・ラドクリフ

BL出演?“ハリポタ”のダニエル・ラドクリフに、ちるちるがインタビュー! BLニュース|BL情報サイト ちるちる

 

ただ個人的には、ここまで分析はできるけど愛に名前をつけて線引することはそんなに重要じゃないという考えです。愛って原始的な感情だし、ここは二人しかいない森の中なんだよ。社会によって名付けられた愛の名前は必要ないのでは?とてつもない愛、でいいんじゃないかと思います。メニーの歌(Love Love・バスの中でメニーがサラを口説く時、君のために作った、といって聞かせた曲)を聞いてみてほしい。歌詞がLoveしかなくてアホだから。love love love love love...♪って言っているだけのラブソングだから。そういうことなんですよ、メニーくんが、子供みたいにひたすらに、君を愛してる、としか言えないのと同様に、我々もそこにあるものをただ、愛だ、としか言えないのだ。

youtu.be

 

でも結局これどんな話だったの?現実?妄想?WHAT THE F●CK!?

What the fuck?を「何なの!?」と訳すことには異論を挟めないけどファック!?感はなくなるよなぁ…というのは置いておくとして、色んな方の感想を読んでいると、『信頼できない語り手』による映画だった、つまり劇中の出来事の多くが狂人ハンクによる妄想という面が大きくて、メニーの『正体』は自己の投影とか、抑圧されていたもう一人の自分だよ派がいるような。

wikiを見たら信頼できない語り手映画にタグ付けされていたw

Category:Fiction with unreliable narrators - Wikipedia

↑ネタバレ火薬庫なのであんまり見ないほうがいいかも

もっと言うと、二人で同時に喋るシーンがないよ、一人芝居だよ、とかですね。その可能性はきちんと映画内に示唆として散りばめられてるし、実際死体を使った子供っぽいお人形ごっこである側面はあるので分かるんですが、同時に、超自然的な現実だよ(これはある程度ファンタジーの世界だよ)という情報も作り手は発信してると思うのだ。 最後、複数の人がオナラを噴出して海面を滑りゆく死体を目撃、それどころかテレビカメラで撮影しちゃってますからね。
メニーは一体何なのか。(別に『正体』とか探らなくてもいいと思ってたんだけど、言うなれば)私の考えるメニーは、自己との対話という側面をかすめつつ、最終的にはやっぱり他者ですね。「死体」っていう、人間と物質の中間で、更に物理的に背負って行かなきゃならないもの。幽霊やイマジナリーフレンドとは違う。
メニーの肉体が死体なのは、『ゴミ』だからだと思う。『ゴミ』とは、作中で、ugly,old,useless,empty,disgustingなどと表現されていた。ハンクはゴミをリサイクルするのが得意で、自分もゴミ(のような人間という自己認識)だ。

ここからだいぶ私の妄想ですが、あの「ダニエル・ラドクリフの死体」の生前って、別にメニーじゃないんですよ。名前も違うかもしれない、というか、多分ハンクがメニーを「名付ける」シーンって、となりのトトロのオマージュじゃないかと思うんだけど…。いつだかもわからないけれど、どこかの誰かがたまたま橋から飛び降りたんだか落ちたりだかして、あの死体という物質ができた。死体は抜け殻として海を漂い、『メニー』という精神は、ハンクの助けを求める声に応じて、あの無人島(あれこそ心象風景としての無人島かもしれない)で死体に跨った瞬間に生まれたんだと思います。だから、メニーは生まれたばかりの存在で、『メニーが忘れてしまった人生』なんてものはなかった。でも、肉体は物理的に存在するから、警察に死体袋に収納されるし、検死結果もでる。

話は変わるんだけどメニーの最後って結構可愛そうで、ハンクが冒頭で死のうとしていた理由と同じ生き辛さを感じてしまったんですよね。「どうかサラには、自分がどれだけ彼女を愛していたか伝えないで」これが劇中で最後のメニーの台詞ですよ。あれだけ無邪気にサラに愛を伝えるんだって言ってたのに!つらくないか!??ハンクはメニーに、自分がつかめなかった人生の美しさ全部を教えてあげたかったのに、結局自分と同じ辛さ、自己否定の感情を与えてしまった。でもハンクはそこで諦めなかったんですよねー、メニーが沈黙してしまっても、死体を強奪し、呼びかけ、必死に愛を伝え、彼がゴミじゃない、自分にとっては必要な存在であると訴えた。結果として、再びメニーが命の屁をこく事ができたんだと思う。彼らはお互いを救ったんだよ。

 

BLとして、メニー×ハンク、あるいはハンク×メニーのカップリングとして読むと?

私はどちらかというと死体が左派のリバありですかね…という話でもあるけどそうではなく!

そこにあるのは、基本的に切ないすれ違いの物語だと思う。腐女子文化によくある図式に無理やりしてしまうとこう。ハンク→→メニー→→サラ

ただし、メニーには終始一貫して、ハンクを救いたい、ハンクを幸せにしたいという気持ちがベースにあって、それはサラに恋をしてからも継続している。

メニーはあの時、彼の役に立てて、島から脱出させてあげられてとても幸せだった。

byダニエル・ラドクリフ

『スイス・アーミー・マン』ダニエル・ラドクリフ 単独インタビュー - シネマトゥデイ

 
1回目とかふわっと腐った気持ちで映画を見ていたら、BLとして幸せなシーンに溢れているように感じたけれど(モンタージュソングの高揚感とかすごい)実際に、ハンクとメニーの気持ちが双方向に通じた瞬間ってわずかにしかないんじゃないかと思っている。1回目は水中のキスシーン、そして2回目は熊襲撃シーンの最後。あとはラストの別れのシーンだ。

さて、そもそもハンクはサラのことが好きだったのか?彼女にどれほどの感情を持っていたのか?私はこれ、ハンクにとってのサラって、雑誌のグラビアの女よりもほんの1歩現実に近いくらいの、誰でもよかったくらいの女性だと思っている。バスの中で毎日のように乗り合わせる、なんだかちょっと素敵な女性。彼女はとても幸せそうで、自分はそうではない。もちろん話しかけてどうにかなろうという気なんてさらさらない。彼女みたいなガールフレンドがいたら、自分はどんなに幸せだったろうか。そんな思いからの、盗撮(二次元嫁を待受画像にする行為にもどこか似ているかもしれない)と、個人情報抜き(インスタの監視とか、住所とか、きっと苦せずしてすぐに分かっちゃったんだろうな)。ホームでのハンクは誰にも愛されなかったし、愛する対象をさえも見つけられていなかったんだと思う。モヤモヤした性欲と罪悪感を抱えて、サラのことをただ眺めていただけ。遭難中のハンクが携帯の待受画面を見ても、どこか冷めている印象があるのは、きっとそういうことなんだと思う。

無人島でのハンクは、とにかく話ができる他人を求めていたから、まるでその願いを叶える為に現れたがごときメニーには、最初から好感度がとても高いけれど*2やはりハンクからメニーへの愛が花開いたのは女装&恋愛ごっこのシークエンスだろう。その前のゴミ山の人生レッスンのところでメニーに「お前は醜く役立たずで、誰にも愛されなかったゴミだ(要約)」と悪意なく言われたけど*3、女装では逆に「美しい」と言われる。メニーに嘘とか美辞麗句の概念はない。誰かに本心からこんなにまっすぐに褒められて、戸惑いもあっただろうけど、ハンクはどれだけ嬉しかっただろうか。ところでポール・ダノの女装はかなりの人に普通に可愛いって言われていて驚いた。あれ喜ぶのってポール・ダノがもともと好きな人だけかと思ってたけど。素材もそうだけど彼の演技と撮り方すごすぎるって事だよね。これには私も嬉しくなった

バスのシーンからモンタージュソングの、メニーとハンクの友情、メニーとサラ(女装したハンク)のロマンスが、代わる代わる弾け、それに伴ってメニーがどんどん新しい能力に目覚める=死んでいる状態から生に近づく様子の尊さは、もはや説明する必要もないくらいきらびやかでハッピーだけど、メニーは、自分が恋しているのは「サラ」だと思っているからやはりすれ違いのBL。ハンクがサラになりきって、メニーとする恋愛は、彼ができなかった理想の恋愛に近いけれど、そこに自分自身(ハンク)は存在しない。ハンクはダンスパーティーの最後、未遂のキスが空を切った瞬間、そんな虚しさに気づいてしまったように見えた。翌朝の「もう前に進まなきゃ」という覚悟も胸を締め付けられる。

さてその後の橋渡りから水中キス。ここはハンクからメニーへの気持ちが通じた場面だと思ってます。死体が死への恐怖に直面するというナンセンス。そしてそこでメニーから出るのが、死んだら君に会えなくなるのが寂しい、という言葉。水中に没した後の、ハンクがメニーにキスをする勇気は、バスの中でハンク(メニー)がサラ(ハンク)に話しかける勇気の相似形なのは、水中でバスのシーンがフラッシュして重なる演出からも明らかなのではないだろうか。恥じらいを捨て、誰かに愛を伝えるという勇気。そして彼らは水中で息をすることで、愛と生をシェアする。耽美だなーーー…と思ったら次の瞬間オナラブッ放しなんだけどそこはこの映画がこの映画であるところだ。オナラの爆発力ってのはほとばしる生命の輝きであり愛なのだ。

焚き火と熊のシークエンス。あんなロマンチックなキスの後だけど、メニーはまだ一途に、純粋にサラを想う。故郷に帰れば、サラが自分のことを愛していると信じて疑いがないし、自分の愛をサラに伝えるつもりだ。一方ハンクは、メニーこそが自分にとっての「特別なたったひとり」なのではないかと気づき始めている。だから、いっそこのままずっと森に居たい、という話もする。
その直後にハンクは、メニーに失恋の事実を突きつける。失恋というよりもそもそも始まってもいない、君には何もない。それを伝えてしまう事がどれだけ残酷なのかもよく自覚していない様子で。そしてメニーに絶望を与え、メニーの万能感=特殊能力を奪うことが、熊に襲われるという報復となってハンクに返ってくる。サラというキャラクターは、愛で力を得るためにの手段にすぎないから、"we don't need her anymore, we got each other" という叫びは、サラではなく自分を見て欲しいという訴えにも聞こえる。めちゃくちゃBLしてる。ハンクの、ある意味身勝手な愛はメニーを傷つけ、メニーは死にたいとさえ思うが、ハンクはその死にたさを理解し*4、わずかな希望を与える(クソの話で)。今まで自力で動くこともままならなかったメニーがものすごい奇っ怪な動きを見せて熊を撃退するところ、彼らだけに通じるような変態じみたクソの話で、特殊な愛が伝わった結果に他ならないと思う。

最後、サラの家の庭で。とうとう今までとは逆にメニーがハンクを背負って歩くという入れ替わりが起きてるけれど、この時のメニーの行動原理は、まだ最初にハンクに言われた事"Please save me, and bring me back to home"を忠実に守っている。だから、帰りたいとあんなに切望していた『故郷』で隠れようとするハンクが理解できずに、諍いになる。更にメニーは、ハンクのサラに対する愛情*5をサラに打ち明けるべきだと主張。メニーがいつでも世界に対して楽観的で、ハンクの幸せを願っているのは一貫して変わらない。しかし、サラ(本物)に醜い死体である自分と、そこに寄り添うハンクを奇異なものを見る目で見られると「どうかサラには、自分がどれだけ彼女を愛していたか伝えないで」とだけ言い残し、失意のうちに再び物言わぬ死体に戻ってしまう。
ここから死体の強奪というかたちで、ハンクからメニーへの必死の愛の呼びかけが始まるんだけど、それがきちんとメニーに届いて彼を救ったことは、ラストシーンを見れば明白だ。これが最後に二人の愛が通じ合ったシーン。あのとき耳元で何を囁いたかは、腐諸氏の妄想力…腕のみせどころでは?

映画のエンディング、ビターだけれどふたりとも笑顔で、希望を残す終わり方だったと思う。*6ハンクの父親の微笑みも、あの映画における明確な「救い」だ。現実か夢かどうかさえも怪しい死体は波の向こうに消えていったけれど、死体との間に育んだ愛が確かにそこには残り、その後のハンクを生かすのだ。

そして世界は、歌とダンスとオナラに満ちて…
僕らの孤独はほんの少し、薄れていくだろう

ここまで読んでいただいた方、長々とした文章にお付き合いいただき本当にありがとうございました。我ながら、ねちこい!のですが、実は!この映画大好きなんですよね。人によっていろいろな見方、解釈ができる作品だと思うので、見終わった後にあー笑った笑った、くだらない!という方がいてもそれはそれで全然OKだし、こういう人もいるんだな、くらいに思っていただければ嬉しい。

 

*1:著名人コメントがBL漫画家さんだったり、BLメディアに取材させたり、キスシーンがあることをばらしちゃったり…

*2:メニーが洞窟で話し始めるまでは、本当にただの屁をするだけの死体を持ち歩き、話しかけ、子守唄を歌っているんだからその狂人っぷりは相当なもの

*3:ハンクが多分そういう事言われ慣れちゃっているんだなってのもわかってしまい切ないが

*4:もちろんハンクは死にたい気持ちで生きていたのだから死にたさのエキスパートだ

*5:それってハンクとメニーの間で育んだ愛情なんだけどな

*6:ラストあたりのポールダノの演技は神がかっていて、私なんか何度見ても号泣してしまう